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初春をいろどる
展示期間:2012年 1月 1日~2012年 3月31日

新春にちなみ、イメージ画像の中から雪や花の景色をあしらったものを選びました。大阪の名所から百人一首の世界まで、さまざまな初春の景色をお楽しみください。

百人一首:錦絵註入 

当館のコレクション「百人一首文庫」の中の一つで、歌川国芳・歌川国貞画による色鮮やかな錦絵付きの小倉百人一首です。
坂上是則(さかのうえのこれのり)
「朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪」
『古今和歌集』巻第六・冬歌に「大和国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる 坂上是則」とある歌です。 夜明けの吉野の里に降る雪を詠んだ歌で、ここでは雪玉をつくる可愛らしい童子の絵が添えられています。この絵の作者歌川国貞は初代歌川豊国の門人で、実は三代目であるにもかかわらず二代豊国を名乗り、師の号である一陽斎を使って数多くの作品を残しました。

俤百人一首:狂歌細画 

江戸時代から明治にかけて「小倉百人一首」の形式を借りたもの、もじったものなど、「異種百人一首」と呼ばれる書物が数多く出版されました。この「俤(おもかげ)百人一首」もその一つで、「小倉百人一首」の面影をもつ上方の狂歌集です。撰者は繁雅、茂喬、砂長の三人で、繁雅の七回忌に刊行されたと序にあります。巻頭には四枚の錦絵が春夏秋冬を詠んだ歌とともに飾られており、この雪景色はその冬の部分です。絵師の春川五七(はるかわごしち)は、神屋蓬洲(かみやほうしゅう)ともいい、江戸時代後期の浮世絵師で、戯作もよくしました。

三才雪百首 

雪を題材とした百首を収めた狂歌集です。天・地・人の三部に分けて、天の部では落日や月明かり、暁に照る雪など天候に関する雪の歌、地の部では、山や野と雪を詠んだもの、人の部では人と雪にちなんだ歌が撰ばれています。巻頭に天・地・人の三枚の鮮やかな錦絵が添えられていますが、この絵は北斎の門人であった浮世絵師・北渓によるものです。江戸の四谷で魚屋を営んでいたので、魚屋北渓(ととやほっけい)とも呼ばれました。同じく北渓画の『三才花百首』も所蔵しており、こちらもイメージ画像でご覧いただけます。

大阪名所 

「高津神社」
高津神社は、貞観8(866)年に清和天皇が旧宮地の所在地を探して仁徳天皇を祀るようにと命じ、その地を探して社殿を築き、仁徳天皇を祀ったのが始まりといわれています。その後、秀吉が大阪城を築城する際に現在の場所に移されたといわれています。上町台地の高台にあり、社殿の西側から古くは大阪の町や難波津までを見わたすことができました。大阪の景勝地として有名で、桜や梅の名所としても知られています。さまざまな名所図会に、石鳥居が特徴的なランドマークとして大きく描かれています。

滑稽浪花名所 

「高津」
仁徳天皇は古くから大阪の人々に敬われてきました。高津神社の境内には仁徳天皇の仁政をしめす御歌「高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり」の額があり、「大阪市歌」にも高津宮がうたわれてます。また大阪の雪見の名所としても有名で、この「滑稽浪花名所」では、はしゃぎすぎて雪玉もろとも石段を転げ落ちる浪速っ子の姿がユーモラスに描かれています。

瑞龍寺俗に鉄眼寺ト云 (写真浪花百景 上編 中編) 

瑞龍寺は浪速区元町にある黄檗宗の寺で、寛文10(1670)年に鉄眼(てつげん)禅師を招いて中興開山しました。鉄眼は日本で初めて一切経の版木を作り、印刷することを成し遂げた人物で、その偉業を称え、鉄眼寺とも呼ばれています。境内の諸堂はすべて唐風の造りで、『浪華の賑ひ』には「諸堂に雪の積りたる風景は正しく 吾朝(くに)にあらざる思ひせらるとて儒家文人画師なんど雪中に競ひてこれを賞す」とあり、雪景色の景勝地としても知られていたようです。

増井清水 (写真浪花百景 上編 中編) 

増井清水はかつて、亀井・玉出・逢阪・安井・有栖・金龍とともに、天王寺の七名水のひとつに挙げられていました。 江戸時代の大阪市中の井戸水は飲用に適さず、当時の人々は水屋から川の水や、こういった名水を飲み水として買っていたのです。この絵の描かれた明治初期には、涸れることなく清冷な水が湧いていたそうですが、現在、七名水のうち残っているのは亀井清水だけとなっています。この絵は大阪の浮世絵師、初代長谷川貞信によって描かれました。貞信は役者絵や風景画をよくし、この「写真浪花百景」は残念ながら百景を完成させることができず、上編中編各三十景、全六十景の作品となっています。

松が鼻 (写真浪花百景 上編 中編) 

木津川と尻無川の分流点にある寺島の北端(現在の西区千代崎)にはかつて姿の美しい松があり、「松ヶ鼻」と称される名所でした。有名な「松島」の名前は、「松ヶ鼻」の「松」と「寺島」の「島」をから名づけられたものと言われています。江戸時代には水辺の景勝地として賑わい、『摂津名所図会』をはじめ多くの名所図会にも描かれました。この松は明治の末ごろまで残っていたといわれています。

梅花白絞油製造所油問屋 

最後に梅の花を描いた引札(ひきふだ)をご紹介します。引札は、商店が開店や売り出しの宣伝のために配ったもので、現在の「チラシ」にあたります。江戸時代中期に始まり、明治から大正初期にかけて数多く作られました。絵は二代目長谷川貞信によるもので、梅と縁の深い菅原道真が描かれています。二代目貞信は初代貞信の長男で、号を小信といい、明治8(1875)年に貞信を襲名しました。明治初期の錦絵新聞で活躍し、浮世絵の需要が衰えていくと、引札や芝居番付なども手がけました。