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没後200年 間重富とその時代 ―近世大坂の自然科学分野を中心に―
展示期間:2016年 5月 1日~2016年 7月31日

平成28(2016)年は、江戸時代を代表する大坂の天文学者であり、質屋を家業とする町人でもあった間重富(はざま しげとみ)(1756-1816)の没後200年にあたります。それを記念して、近世後期の大坂における自然科学的な学問の発展と広がりの様子を当館所蔵の資料でご紹介します。
間重富関連の資料解説については、大阪市立科学館学芸担当課長の嘉数次人氏にご協力いただきました。

★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。

寛政八丙辰秋八月以後日記扣 

大阪の町人天文学者・間重富(はざま しげとみ)の業務日誌の写本です。日記が書かれた寛政8(1796)年当時、間重富は寛政の改暦業務により江戸に赴任していました。
日記には、江戸の浅草天文台での業務の様子などがメモ的に綴られています。

彗星概説 

彗星とはどのようなものかを解説した間重富の著作で、未完成の自筆稿本です。彗星は太陽系の天体の一つであることを解き、彗星の尾の長短の原因についての説明や、オランダ書の内容をもとにした彗星の軌道などについての説明がされています。

暦算雑録 

高橋至時が自ら調査・研究したことなどをノート的に書き留めたものです。その話題は、日時計の構造やレンズ光学、日食計算法など多岐におよび、至時の興味の一端を窺うことができる貴重な資料となっています。著者の梅軒とは高橋至時の号です。

寛政七年以後凌犯;高橋氏実測記 

「凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、現在では星食、掩蔽(えんぺい)と呼ばれています。本資料は、幕府天文方高橋家による凌犯観測を集めた記録集で、大阪の間重新が、寛政7(1795)年7月13日の木星食から文政3(1820)年8月5日の木星食まで、7件の食の観測記録を編集したものです。

摂津名所図会 

こちらの画像は、寛政8(1796)年から10(1798)年にかけて刊行された『摂津名所図会』巻之四にある伏見町の疋田屋杢兵衞店頭風景の図です。「異国新渡奇品珍物類蝙蝠堂」という看板の左に起電機があり、座った男の頭へコードを当てて、エレキテル(電気)の実験を行う様子が描かれています。
蘭学者、橋本宗吉(1763-1836)は、日本初のエレキテル実験書『阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原』(文化8(1811)年)を著わしました。記憶力に優れた若者だった橋本宗吉を見出し、江戸でオランダ語を学ばせたのは間重富でした。

医家名鑑;浪速名医所附 

多くの医科人名録は、医名、診療科名、住所が記されているだけですが、弘化2(1845)年に刊行されたこの『医家名鑑』には、それらに加えて家紋及び合羽印が収録されています。合羽印とは、主として薬箱等に覆いかける合羽に付けた特殊な紋のことです。こちらのページには、適塾を開いた「緒方耕(洪)庵」の名前があります。洪庵の大坂生活は天保9(1838)年から文久2(1862)年までの24年間で、その間に、医者としては診療のほかに、現今の予防医学や、公衆衛生の仕事につとめ、殊に種痘の普及と、その啓蒙にもっとも力を尽くしました。

当時流行名医鑑 

江戸時代の寛政年代末頃から明治中期にかけて各種の見立番付が出版されました。
見立番付とは、相撲の番付にならい、さまざまな事物に序列をつけた一覧表で、一枚摺りの読み物として売られ、庶民の間で流行しました。大坂では、医師の見立番付も数多くつくられました。嘉永年代(1848~)以降のものは、数段に分けて、医家名を連記した一枚摺りの形式ではありますが、大関、関脇といった相撲の位付けはなく、単なる名寄せ鑑になっています。
こちらは1868(慶応4)年刊の『当時流行名医鑑』。最下段には、世界で初めての全身麻酔による乳ガン摘出手術に成功した外科医・華岡青洲の門人で娘婿でもある花岡(華岡)準平の名前も見えます。

浪華名所独案内 

『浪華名所独案内』は、江戸末期に暁鐘成(あかつきのかねなり)が作成した一枚摺の大坂市中の案内図です。この図には、名所旧蹟や有名商店が記されており、当時のにぎやかな市中の様子がうかがえます。「道修町薬屋多シ」という記述や、「ウルユス店」「コシヤウシ圓」「龍眼肉圓」「ヒセン湯薬」「無二膏」「三臓圓」「五レウ圓」といった薬屋の名前も見られます。

商人買物独案内 

慶応3(1867)年の序を持つ『商人買物独案内』(題簽(だいせん)の書名『増補浪花買物独案内』)は、大坂の商工業種を「いろは」順に配列し、業者名、住所、商標などを記載した商店・商品便覧にあたるものです。「く」の部には、活気あふれる店頭の様子が描かれた薬種商や、『浪華名所独案内』(江戸末期刊行)に記載されている「ウルユス」「人参三臓圓」などの広告も見られます。