Webギャラリー インターネット上のバーチャルなテーマ展示です

戻る

道頓堀川開削400年
展示期間:2015年 9月 1日~2015年10月31日

道頓堀川は慶長17(1612)年に成安道頓、安井道卜(九兵衛)らが開削し、元和元(1615)年に完成しました。はじめは「南堀」と称しましたが、当時大坂を治めていた松平忠明がその功績を評して「道頓堀」と命名したと言われています。
道頓の姓については、「安井」であるという説が一般的でしたが、昭和40(1965)年に安井家の子孫が道頓堀の所有権を巡っておこした「道頓堀裁判」の過程で提出された文書から、現在は「成安(なりやす)」姓であることがほぼ定説化しました。
寛永3(1626)年頃、芝居小屋が道頓堀に移転した後、道頓堀界隈は大坂を代表する繁華街として発展してきました。かつては「道頓堀五座」と呼ばれる芝居小屋や芝居茶屋が立ち並んだ芝居町にも、カフェーが次々と誕生しました。また、歌舞伎や映画、レビューなど、道頓堀は多種多様な芸能を育んできました。
平成27(2015)年、道頓堀川開削から400年を迎えるのを記念して、江戸時代から昭和初期にかけての道頓堀の賑わいとその移り変わりを絵図や絵葉書などでご紹介します。

道頓堀安井道頓碑/千日前新金毘羅/千日前竹林寺/千日前法善寺境内金毘羅大王 

左端が「贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑」です。大正3(1914)年に道頓に従五位が贈られたことを記念して、翌4年に安井邸のあった日本橋北詰に立てられました。当時、道頓堀を開削した人物は、一般的には「安井道頓」の名で知られていたために、この碑にも「安井」姓で刻まれています。

摂津名所図会 

『摂津名所図会』にある「道頓堀芝居側」の図です。『摂津名所図会』は寛政8(1796)年から寛政10(1798)年に刊行された地誌で、今でいう観光ガイドブックのような役割もありました。この絵は道頓堀川の南側を描いた鳥瞰図で、右側にある橋が「戎橋」、左側の橋が「太左衛門橋」です。通りには「筑後座」、「中の芝居」、「角の芝居」、「角丸座」、「豊竹座」、「竹田座」など芝居小屋が並び、人通りの多い様子が描かれています。

角座前 明治四十年頃 

角座は、慶安5(1652)年の「大坂太左衛門芝居」が始まりで、大坂太左衛門が道頓堀での興行許可を受けて名代(なだい)となり、興行を開始しました。角座の名前は「太左衛門橋」を渡ってすぐの角地にあったため「角の芝居」と呼ばれていたことが由来となっています。当初は歌舞伎の興行が行われ、宝暦8(1758)年に並木正三が日本初の回り舞台を導入したことでも知られています。やがて近代になると新派劇などが上演されるようになりました。

(大阪名所)道頓堀 中座前 大正八年頃 

中座は、寛文元(1661)年に作られた「塩屋九郎右衛門芝居」が始まりです。「角の芝居」と「大西の芝居」の間にあったため「中の芝居」とも呼ばれていました。上方歌舞伎の中心的な劇場でしたが、昭和20(1945)年に戦災で消失してしまいました。昭和23(1948)年に再建された中座では、「五郎劇」と「松竹家庭劇」が合同してできた「松竹新喜劇」が旗揚げされ、その後の拠点となりました。

[大阪芝居絵番付]大正八年十月八日;青葉しぐれ, ;忠臣蔵, ;藤十郎の恋, ;伊勢音頭恋寐刃 

芝居番付とは、歌舞伎などで、興行の宣伝、案内のために作られたもので、上演月日・場所・演目・配役などを記したいわゆるチラシのようなものです。こちらは浪花座の絵入役割番付です。初代中村鴈治郎は、明治20年代半ばから昭和10(1935)年に死去するまで活躍し、明治44(1911)年から大正8(1919)年までは浪花座を拠点としました。大正8年10月7日に初代中村鴈治郎によって初演された「藤十郎の恋」(菊池寛作、大森痴雪脚色)は大当たりだったと言われています。

(大阪名所)芝居映画とカフヱーの街道頓堀 

こちらは昭和初期頃の道頓堀の様子です。大阪では、明治末から大正初期にかけてカフェーが出現、急増しました。道頓堀でも大正2(1913)年頃にカフェー・パウリスタやキャバレー・ヅ・パノンが開店しました。「パノン」とはフランス語で旗指物(はたさしもの)の意味で、洋画家足立源一郎が興行街である道頓堀の「のぼり」「旗」を意識して命名したと言われています。ステンドグラスの窓があり、壁にはビアズリーの版画が掛かった瀟洒な店でした。

大阪百景 文楽座/心斉橋/難波神社/難波橋/松竹座 

左端の松竹座は、大正12(1923)年、大林組の木村得三郎によって設計されました。正面の大アーチが特徴的なネオ・ルネッサンス様式の鉄骨鉄筋コンクリートで、5月17日に開場しました。開場初日には、エルンスト・ルビッチ監督のドイツ映画『ファラオの恋』、松竹蒲田撮影所で撮影された野村芳亭監督の『母』、幕間には松竹楽劇部の第1回公演『アルルの女』が上演されました。その後も、洋画の封切のほか、松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)のレビューなどが舞台にかけられました。

(大阪名所)戎橋及心斎橋筋 

昭和の初期に道頓堀にかかる戎橋を南側から北へ向けて撮影されたものです。画面奥には商店街のアーケードがあることも確認できます。戎橋は当初「操橋(あやつりばし)」と呼ばれ、道頓堀開削の頃からあったと考えられています。人形浄瑠璃の芝居小屋近くにあったことが由来ですが、今宮戎神社の参道であったことから名前が戎橋に変わったと言われます。当初は『摂津名所図会』などにも描かれているような木橋でしたが、明治11(1878)年の架け替えで初めて鉄橋となりました。写真に写っている橋は、大正14(1925)年に架け替えた鉄筋コンクリート製の橋で、平成19(2007)年に現在の橋に架け替えられるまで、長らく使用されてきました。

大阪名所 戎橋 

こちらは戎橋から南側を撮影した絵葉書です。欄外に「日本一の交通量を持つ繁華街」とあり、当時も道頓堀周辺は大変賑わっていたことがわかります。奥に見えている建物は三笠屋の「食料品百貨店」です。この建物は元々「丸万食料品店」として営業されていましたが、昭和11(1936)年に三笠屋が経営を引継ぎ、「食料品百貨店」としてリニューアルオープンしました。フロアは地下1階から地上5階まで延べ850余坪もあり、「食料品百貨店」とはいいながらも洋食堂や大ホールまで備えていました。