Webギャラリー インターネット上のバーチャルなテーマ展示です

戻る

建物でめぐる大大阪
展示期間:2015年 5月 1日~2015年 8月31日

大正14(1925)年4月1日、第二次市域拡張により、東成郡と西成郡の44カ町村が大阪市域に編入されました。その結果、大阪市は、人口211万4804人、面積181.68平方キロメートル、東京市を抜いて、全国1位、世界6位の人口を抱える大都市となりました。「大大阪」と呼ばれたその時代、大都市を華やかに彩った近代建築が多く建てられました。それらの中には、建替え等により現在では見ることのできなくなったものもある一方で、いまなおその姿をとどめるものが数多くあります。そういった建築物の当時の様子を、当館所蔵の絵葉書や写真でめぐりたいと思います。

(大阪名所)大阪市庁舎 

大正10(1921)年頃の中之島、大阪市庁舎付近の様子です。市庁舎の前を市電の堺筋線が走行しています。この市庁舎は、同年5月に竣工したばかりで、地上5階地下1階塔屋5階の鉄骨及び鉄筋コンクリート造りの建築でした。明治22(1889)年10月1日の大阪市制発足時の江之子島庁舎(大阪府庁舎内)から、大阪府庁舎近くの江之子島上の町への移転(明治32年)、堂島浜通の庁舎への移転(明治45年)を経て、この地に移転してきました。この庁舎は日本銀行大阪支店、府立中之島図書館、中央公会堂とともに「中之島の四大名建築」として親しまれてきましたが、手狭となったため、昭和61(1986)年に現在の市庁舎に建て替えられました。

(大阪名所)中央公会堂 

中央公会堂は株式仲買人だった岩本栄之助の寄付金により、市民のための集会施設として、大正7(1918)年に完成しました。設計に当たっては、当時珍しい指名コンペが採用され、当時弱冠29歳の岡田信一郎がコンペを勝ち取り、その案を基に辰野金吾、片岡安が実施案を作成しました。バロック的な大胆なアーチ、ネオ・ルネッサンス様式の赤レンガの壁に青銅のドーム屋根が美しい建物は、まさに大大阪のシンボルといえる名建築です。

(大阪名勝)大江橋及日本銀行 

明治建築界の第一人者であり、東京駅の赤レンガ駅舎などを設計したことでも知られる辰野金吾によって、ベルギーの国立銀行をモデルに設計されました。青緑のドームをもつ煉瓦・石造りの建物は、全体としてネオ・ルネッサンス風で、当時の先進技術が駆使されたものです。昭和57(1982)年の建て替えの際には、外壁保存工法によって外観を保存し、現在も美しい姿を残しています。

(大阪)難波橋 

難波橋は、江戸時代から周辺の橋や山々を眺めることができる絶好の行楽地として親しまれ、夕涼みや花火見物などでも賑わっていたそうです。その姿は三大橋の一つとして『摂津名所図会』などにも描かれてきましたが、明治18(1885)年の洪水で消失しました。大正4(1915)年に以前架けれらていた難波筋より一本東の堺筋に、周辺の埋め立てや公園の整備とともにアーチ型の橋が架けられました。この橋は市章を組み込んだ高欄干や、親柱にあしらった阿と吽それぞれ二体のライオン像(彫刻家・天岡均一制作)など、独特の雰囲気を持ち、ライオン橋の愛称でも親しました。難波橋の本体は昭和50(1975)年に架け替えられましたが、石造の装飾部分はそのまま残して活用され、豪壮な姿を見せています。このライオン橋は、平成27年3月に大阪市指定文化財に指定されました。

産業日本の心臓たる大大阪を象徴する御堂筋大街路の一角、巍然として聳え立つ白亜の一大高廈(ガスビル全景) 

中央区平野町の御堂筋沿いにある大阪ガスビルは、大阪瓦斯(ガス)会社の本社ビルとして、昭和8(1933)年3月に完成しました。日本初の公営地下鉄が梅田-心斎橋間に開業したのはその直後です。ビルにはガス機器の展示場のほか、観劇などができるホールや食堂などがあり、娯楽施設としても一般に親しまれました。ガスビルを設計したのは当時関西を代表する建築家の一人、安井武雄。御堂筋のイチョウ並木に映え、アイボリー調の外壁を各層ごとに水平に区切る庇からなる外観について、村野藤吾は「都市建築の美の極致」と評しました。

大阪名所 御堂筋 

御堂筋は大正15(1926)年に着工しましたが、用地買収や技術上の困難、財政難など、様々な障害があり、全線開通したのは昭和12(1937)年でした。梅田から難波まで、南北全長約4km、幅43.6mの大阪の大動脈は、現在も大阪を象徴するものとなっています。沿道の建物は、いわゆる「百尺規制」に基づき、高さが百尺(約30.3m)までに制限されており、高さの揃った美しい景色は、淀屋橋以南のイチョウ並木とともに、近代大阪を象徴するものでした。

大阪百景 文楽座/心斉橋/難波神社/難波橋/松竹座 

松竹座は、大正12(1923)年、大林組の木村得三郎によって設計された正面の大アーチが特徴的なネオ・ルネッサンス様式の鉄骨鉄筋コンクリートの本建築によって、道頓堀に落成し、5月17日に開場しました。完成披露映画、柿葺落とし記念講演は、蒲田撮影所作品の『母』、ドイツ映画『ファラオの恋』、松竹楽劇部による実演『アルルの女』で、割れんばかりの盛況を呈しました。

(大阪名所)第四師団司令部 

正面にはタレット(隅塔)、軒まわりには、ロマネスク風のロンバルディアバンド(※)をめぐらすなど、ネオルネサンス風の重厚な建物は、大阪城天守閣の復興を願う市民の寄付金の中から天守閣もより多額の寄付金があてられ、昭和6(1931)年に完成しました。完成と同時に、軍に献納され、第四師団司令部庁舎となりました。戦後、大阪府警察本部、大阪市立博物館として使用されましたが、現在は、博物館の移転に伴い、閉鎖されています。
※ロンバルディアバンド:イタリアのロンバルディア地方で生まれたロマネスク建築特有の壁面装飾

大阪税関庁舎全景 

大阪税関は、慶應3(1867)年8月、「川口運行所」として誕生しました。旧庁舎は、明治26(1893)年に立てられ、北区富島町にありましたが、この写真は、大正9(1920)年に、西区二条通、三条通りの築港税関敷地内に建てられたもので、木造洋館二階建、約1000坪の建物です。

(大阪名所)新装なれる大阪市立美術館 

茶臼山一帯はかつて住友家の本邸があった場所で、住友家からの寄贈によりその本邸跡地に大阪市立美術館が建設されました。建築案を求めるコンペが行われましたが、財政難などの事情から計画は延期を重ね、案は実現しませんでした。結局は武田五一や片岡安らの指導の元、大阪市建築課によって設計され、昭和11(1936)年に開館しました。長い両翼をもつ左右対称の古典的な構成に、銀灰色のスパニッシュ瓦の屋根を載せた建物は、モダンさと重厚さを兼ね備えており、外光を採り入れる天窓やイギリスから輸入したガラスを用いた展示ケースなど、当時の最新の設備を誇り、大阪の「美の殿堂」にふさわしいものとなりました。