Webギャラリー インターネット上のバーチャルなテーマ展示です

戻る

江戸時代の天文学-間家文書を中心に-
展示期間:2014年12月 1日~2015年 2月28日

今回のWebギャラリーは、平成27(2015)年1月20日(火)より大阪市立科学館で開催の企画展「江戸時代の天文学」にて展示される、当館所蔵の「間家文書」を中心にご紹介します。間家関連の資料解説については、大阪市立科学館学芸員の嘉数次人氏にご協力いただきました。
空気が澄み、きれいな星空を見ることができるこの季節、江戸時代の人々が見た月夜に思いを寄せながら夜空を眺めてみませんか。

また、科学館での展示に先立ち、大阪市立中央図書館3階閲覧室でもケース展示「間家文書と大坂の天文」(12月19日(金)から1月14日(水))を開催します。あわせてご覧ください。
なお、科学館にて開催されます企画展は、大阪市立科学館、大阪歴史博物館、大阪市立中央図書館の3館連携企画となっております。それぞれの会期とタイトルは下記のとおりです(事業開始日順)。

・大阪市立中央図書館2階閲覧室 図書展示「江戸時代の天文学」 平成26年12月19日(金)から平成27年2月18日(水)
・大阪市立科学館 企画展「江戸時代の天文学」 平成27年1月20日(火)から3月1日(日)
・大阪歴史博物館 テーマ展示「『はかる』の歴史」 平成27年1月28日(水)から3月23日(月)

神明宮 (写真浪花百景 上編 中編) 

初代長谷川貞信が手がけた「写真浪花百景」より神明宮の月景色をご紹介します。
平安時代の創建と伝えられる神明宮は神崎町の朝日神明、内平野町の日中の神明と並んで夕日の神明と呼ばれていました。「天満西寺町の南に在りて、世俗入日の神明宮といふ」と添え書きされたこの宮は、明治40(1907)年に露天天神と合祀され、現在は跡地に石碑が立っています。

寛政八丙辰秋八月以後日記扣 

大阪の町人天文学者・間重富(はざま しげとみ)の業務日誌の写本です。日記が書かれた寛政8(1796)年当時、間重富は寛政の改暦業務により江戸に赴任していました。
日記には、江戸の浅草天文台での業務の様子などがメモ的に綴られています。

東都実測恒星方中地高度 

高橋至時(たかはし よしとき)が、江戸の浅草天文台で観測した恒星の南中高度データと、歳差※による高度変化の値をまとめたもので、題名の「東都」は江戸、「方中」は南中のことを意味します。
恒星の南中高度のデータは、恒星の位置決定の際に必要となるなど、天文学の基礎データとして重要なものでした。
※歳差(さいさ)・・・歳差運動によって、春分点の位置が1年間に約50秒3だけ逆行する現象。また、その時間差。月、太陽、その他の惑星の引力で、地球の軸が擂粉木(すりこぎ)のような円錐運動をするところから起こる。このため、春分点は黄道上を西方に2万5800年の周期で一周する。(『日本国語大辞典』より)

寛政十年戊午十月十六日月食;東都伊能勘解由測量 

伊能忠敬が寛政10年10月16日(西暦1798年11月23日)の月食を観測した記録です。伊能忠敬の師である天文方高橋至時の自筆。
伊能忠敬は寛政7年に高橋至時に入門して天文学を学んでおり、本資料は高橋至時が間重富に報告した手紙の断片と推測されています。

彗星概説 

彗星とはどのようなものかを解説した間重富の著作で、未完成の自筆稿本です。彗星は太陽系の天体の一つであることを解き、彗星の尾の長短の原因についての説明や、オランダ書の内容をもとにした彗星の軌道などについての説明がされています。

彗星測数三測 

文化4 (1807)年に出現した彗星の観測記録。本資料は、観測現場で使用・記録する、いわゆる観測フィールドノートです。全体のスタイルは、商人が使う大福帳のようになっているのが特徴で、携帯しすばやく取り出して書けるように工夫されています。

暦算雑録 

高橋至時が自ら調査・研究したことなどをノート的に書き留めたものです。その話題は、日時計の構造やレンズ光学、日食計算法など多岐におよび、至時の興味の一端を窺うことができる貴重な資料となっています。著者の梅軒とは高橋至時の号です。

御改暦以後交食実測 

寛政暦が施行された寛政10(1798)年から同12(1800)年までに、大阪で観測された5件の日月食の観測記録を集めたものです。
寛政の改暦に参画した間重富は、事業終了後、幕府から大阪で御用観測を行うよう命じられており、日月食観測はその業務の一つでした。

寛政七年以後凌犯;高橋氏実測記 

「凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、現在では星食、掩蔽(えんぺい)と呼ばれています。本資料は、幕府天文方高橋家による凌犯観測を集めた記録集で、大阪の間重新が、寛政7(1795)年7月13日の木星食から文政3(1820)年8月5日の木星食まで、7件の食の観測記録を編集したものです。

(大阪名所)四ツ橋 

長堀川と西横堀川が交差する所に四方四つの橋を架け、その四橋を総称し名づけられたとされる四つ橋。ここは江戸時代に活躍した商人出身の天文暦学者・間重富のゆかりの地であり、また昭和12年に日本初の科学館・電気科学館が建てられるなど、大阪において天文学に深い関わりのある場所です。
間重富は麻田剛立(あさだ ごうりゅう)に天文暦学を学び、種々の観測器・観測法の改良に努め、幕府の命令により、大坂定番同心で同じく麻田剛立の弟子である高橋至時とともに寛政の改暦を行いました。

(月夜の大阪)天満橋附近の夜景 

「月夜の大阪」と題された絵葉書のセットより、「天満橋附近の夜景」をご紹介します。天満橋は、江戸時代には現在の位置より少し東に架かり、当時の京橋二丁目と天満二丁目を結んでいました。公儀橋のため高欄擬宝珠があり、高欄は魏々として壮観であったといいます。このシリーズには他に新世界や道頓堀、南地千日前などの月景色があります。デジタルアーカイブのフリーワードに「月夜の大阪」と入力して検索してください。他の絵葉書もご覧いただけます。