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大阪市立図書館デジタルアーカイブ オープンデータ画像人気コンテスト
展示期間:2017年 5月 1日~2017年 6月14日

みなさまにオープンデータ画像についてもっと知っていただくために、「大阪市立図書館デジタルアーカイブ オープンデータ画像人気コンテスト」を実施します。(投票受付期間:5月1日(月)から6月14日(水))
約7千点のなかから、Webギャラリーでは図書館が選ぶおすすめ画像をご紹介します。ぜひご覧ください。※オープンデータとは、公共機関の保有する各種行政情報を商用利用及び二次利用が可能で、かつ機械判読に適したデータ形式で提供する取り組みです。

安治川橋 (写真浪花百景 上編 中編) 

江戸時代初期までの淀川河口部は洪水がたびたび起こり、上流からの土砂が堆積して舟運にも不便をきたすことが多くありました。このため、貞享元(1684)年に幕府の命により、河村瑞賢が九条島を分断して淀川の流れを直線化し、安治川を開削しました。その名は「安けく治む」という意味から名付けたといわれていますが、河村瑞賢の別名にちなむという説もあります。これまで伝法川を迂回していた諸国の船舶が安治川を利用するようになり、沿岸地域から中之島周辺の繁栄をもたらしました。明治元(1868)年に大阪が開港された際の開港場もこの安治川の河口でした。

大阪芝居絵 

芝居絵とは、歌舞伎絵とも呼ばれ、歌舞伎に関するすべての絵のことを言います。
「恋衣花の写絵」の絵師は五葉亭広信(ごようていひろのぶ)。
大坂の人。広貞の門人で、木下氏、五葉亭、五蒲(ほ)亭、白水斎、芦野家などの号があります。作画期は嘉永4 (1851) 年~明治5 (1872) 年。中判役者絵のほか、絵入根本〔歌舞伎の台帳(脚本)を印刷刊行したもの〕の挿絵があります。

摂津名所図会 

八軒家は、古くは四天王寺詣や熊野詣の上陸地、江戸時代には三十石船の発着場として、古くから大阪の水上交通の拠点として賑わいました。このあたりはもともと大江岸(おおえのきし)、渡辺岸(わたなべのきし)と呼ばれていました。平安時代の歌人、能因法師の歌に、「渡辺や大江の岸に宿りして 雲井にみゆる生駒山かな」とあります。この地に渡辺綱とその郎党が居住したことから渡辺といいました。近くには、熊野王子の一番目「渡辺(窪津)王子」が置かれ、熊野街道の陸路のスタート地点でもあります。

滑稽浪花名所;全三十景 

『 摂津名所図会』の著者は秋里 籬嶌(あきざと りとう)、さし絵は 竹原春朝斎(たけはら しゅんちょうさい)が主に担当し、摂津国一円十二郡を対象地域とした絵入りの名所・旧跡記です。当時の景観などを知るうえでの好史料で利用価値は高いと言われています。
こちらの『滑稽浪花名所』の一場面では、四天王寺で凧揚げをしている人々を面白おかしく描いています。『滑稽浪花名所』の作者は歌川芳梅(うたがわよしうめ)です。芳梅は、文政2(1819)年に生まれ、明治12(1879)年に61歳で亡くなった浮世絵師で、弘化4(1847)年江戸で歌川国芳に入門、安政4(1857)年大阪にもどり、役者絵、風景画、風俗画を描きました。

浪華名所独案内 

『浪華名所独案内』は、江戸末期に暁鐘成(あかつきのかねなり)が作成した一枚摺の大坂市中の案内図です。この図には、名所旧蹟や有名商店が記されており、当時のにぎやかな市中の様子がうかがえます。

第五回内国勧業博覧会電灯装飾之図 

第五回内国勧業博覧会では、日本初の会場イルミネーションが導入されました。会期中の日曜祭日等、夜間開場時には各館外部に装飾電灯が灯され、観客は会場内で夜景を楽しむことができました。夜間開場の日には、奏楽堂での楽隊の演奏や不思議館の夜間開演など様々な催しも行われました。

天保山 (浪花百景) 

「浪花百景」は、幕末に大坂で活躍した3人の浮世絵師、歌川國員(うたがわくにかず)・里の家芳瀧(さとのやよしたき)・南粋亭芳雪(なんすいていよしゆき)の合作による100枚の錦絵、つまり浮世絵の多色刷り木版画です。当時の大坂の有名な風景や風物を季節感豊かに描いています。南粋亭芳雪が描いた「天保山」には、古代の水路標識であり、大阪市章ともなっている「澪標(みおつくし)」が描かれています。

大阪名所 

天神橋は、文禄3年(1594)年に架けられ、天満宮が管理する橋なので天神橋と呼ばれるようになったそうです。明治18(1885)年の大洪水で橋は流失してしまいましたが、その後鉄橋化されました。現在の天神橋は、第1次都市計画事業の一環として、昭和6(1931)年1月に着工、同9年5月に竣工しました。

菱垣新綿番船川口出帆之図 

菱垣廻船(ひがきかいせん)とは、江戸・大坂間の海運の主力となり、木綿・油・酒など、江戸の必要とする日用品を輸送した菱垣廻船問屋専属の廻船のことです。新綿番船は、その菱垣廻船の年中行事で、安治川口を出帆、浦賀到着の順番を競いました。江戸時代より、日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地であった、大坂のにぎわいを伝える錦絵です。

草花百種 

幸野楳嶺(こうの ばいれい)は天保15年(1844)京都に生まれ、近世後期に円山応挙や呉春によって成立した円山・四条派の画法を学び、明治初期の日本画の中心的な役割を果たした人物です。京都府画学校(後の京都市立芸術大学)の設立(1880)に尽力し、門下には竹内栖鳳、川合玉堂など数多くの画家を輩出し、今日の京都画壇に大きな影響を残しています。

大阪名所 大阪城天守閣 

関一市長により昭和3年に出された天守閣の復興提案からわずか半年で、多くの市民から150万円の寄付が寄せられ、みごと市民の力で再建された大阪城天守閣です。
最新の鉄骨鉄筋コンクリート製で高さは約55mあり、外観5層内部8階構造でエレベーターも設置されていました。
昭和6年11月7日の竣工式・記念式典のときには、会場は多くの人であふれ、華やかに飾られた花電車が運行するなど、大変な賑わいだったそうです。

大大阪記念博覧会 食料の大阪 

写真は大正14年に、市域拡張したことを記念し開催された「大大阪記念博覧会」のパビリオンの一つ「食料の大阪」の様子です。大きな人形の前にある膳の上には、食べ物の模型が展示され、大阪市民211万4千人余が1日に消費する食べ物の量などを掲示していました。さらに展示されている地図には、主要な飲食店の位置が書かれており、見た人が大阪の「食」を観光できるようになっていました。

(大阪名所)中央公会堂 

中央公会堂は株式仲買人だった岩本栄之助の寄付金により、市民のための集会施設として、大正7(1918)年に完成しました。設計に当たっては、当時珍しい指名コンペが採用され、当時弱冠29歳の岡田信一郎がコンペを勝ち取り、その案を基に辰野金吾、片岡安が実施案を作成しました。バロック的な大胆なアーチ、ネオ・ルネッサンス様式の赤レンガの壁に青銅のドーム屋根が美しい建物は、まさに大大阪のシンボルといえる名建築です。

大阪名所 御堂筋 

御堂筋は大正15(1926)年に着工しましたが、用地買収や技術上の困難、財政難など、様々な障害があり、全線開通したのは昭和12(1937)年でした。梅田から難波まで、南北全長約4km、幅43.6mの大阪の大動脈は、現在も大阪を象徴するものとなっています。沿道の建物は、いわゆる「百尺規制」に基づき、高さが百尺(約30.3m)までに制限されており、高さの揃った美しい景色は、淀屋橋以南のイチョウ並木とともに、近代大阪を象徴するものでした。

(大阪名所)芝居映画とカフェーの街道頓堀 

こちらは昭和初期頃の道頓堀の様子です。大阪では、明治末から大正初期にかけてカフェーが出現、急増しました。道頓堀でも大正2(1913)年頃にカフェー・パウリスタやキャバレー・ヅ・パノンが開店しました。「パノン」とはフランス語で旗指物(はたさしもの)の意味で、洋画家足立源一郎が興行街である道頓堀の「のぼり」「旗」を意識して命名したと言われています。ステンドグラスの窓があり、壁にはビアズリーの版画が掛かった瀟洒な店でした。

『大阪』新世界通天閣 

1912(明治45)年に、パリのエッフェル塔をモデルに建設された通天閣が完成しました。内国勧業博覧会の会場跡地を利用してルナパークとともに造られましたが、戦時中に公布された金属類回収令により1943(昭和18)年に解体。その後、地元の人々の努力により1956(昭和31)年に再建されました。

呉服商 

和装の女の子二人の絵柄の引札(ひきふだ)です。当時では珍しい電話機が描かれています。「引札」は、商店が開店や売り出しの宣伝のために配ったもので、現在のチラシ広告にあたります。明治から大正初期にかけて数多く作られ、縁起物や当時の世相風俗を描いたもの、暦や時刻表がついているもの等、様々な種類があります。

海産商 

明治から大正初期にかけて、商店の「ちらし広告」として流行した引札(ひきふだ)。 中でも、年始のあいさつ回りでお得意先に配られた「正月引札」は、錦絵の伝統を汲む美しい刷り物です。商売繁盛を願って、さまざまに意匠をこらした図柄の中でも、「えびす・大黒」の福の神コンビは、なじみ深い存在です。

源氏百人一首 

百人一首文庫は、江崎政忠氏旧蔵の百人一首関係文献コレクションです。267点、352冊。1973(昭和48)年に元朝日麦酒社長・故山本為三郎氏が収集したものを同社から寄贈された上方文庫の一部にあたります。『小倉百人一首』を始めとして昭和17年発表の『愛国百人一首』に至るまで、様々な詩歌の百首選集が収集されています。  江戸時代後期の国学者、黒沢翁満著の『源氏百人一首』は、源氏物語から主要な人物百二十三人の和歌とその人物の略伝を選んだものである。各々の肖像画も収録されています。

彗星概説 

彗星とはどのようなものかを解説した間重富の著作で、未完成の自筆稿本です。彗星は太陽系の天体の一つであることを解き、彗星の尾の長短の原因についての説明や、オランダ書の内容をもとにした彗星の軌道などについての説明がされています。

間重富関連の資料解説については、大阪市立科学館学芸担当課長の嘉数次人氏にご協力いただきました。

<主な参考文献>