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「平成の大阪」前史
展示期間:2019年 6月 1日~2019年 8月31日

2019年は平成から令和への年号改元という新しい時代の幕開けの年です。1989年に昭和から平成へと年号改元が行なわれ、約30年間の間に現在に直接つながり、印象に残るようなさまざまな出来事が起こりました。
平成の大阪で起こった主な出来事の前史について、江戸期から昭和初期にかけての当館所蔵の資料でご紹介します。
★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。

[大阪市高速鉄道] 

平成2(1990)年4月 国際花と緑の博覧会開幕(~9月)
平成30(2018)年11月 2025年に「大阪・関西万博」開催決定

平成30(2018)年11月24日に、2025年国際博覧会(万博)の大阪開催が決定されました。
大阪の博覧会をふりかえってみますと、平成時代には、平成2(1990)年4月に「国際花と緑の博覧会」が鶴見緑地にて開幕しました。昭和時代には、「人類の進歩と調和」をテーマに77ヵ国が参加し、今なお多くの人々の記憶に残る「日本万国博覧会」が昭和45(1970)年3月15日に開会されました。
さらにさかのぼると、昭和3年11月に挙行された、昭和天皇の即位式である昭和大礼の奉祝のために天王寺公園で開催された「大礼奉祝交通電気博覧会」があります。ユニコーンがついてまるでメリーゴーランドのようなこの電車は、即位大礼奉祝のため造られた花電車のうちのひとつです。交通電気博覧会では、この模型が陳列されていました。昭和3(1928)年10月1日から11月30日までの予定が、大人気のため会期延長され12月2日まで開催されました。入場者総数は100万872人でした。
また明治36(1903)年には、第5回内国勧業博覧会も開かれ、入場者数は435万人を越える盛大なものでした。

眺望閣 

平成5(1993)年3月 梅田スカイビル竣工
平成26(2014)年3月 あべのハルカス開業

今では超高層タワーマンションは珍しくなくなりましたが、大阪市内で超高層ビルというと、梅田スカイビルとあべのハルカスをあげられる方が多いのではないでしょうか。
梅田スカイビルは、平成2(1990)年に着工され、平成5(1993)年3月に完成した、地上40階・地下2階、高さ約173メートルの超高層ビルで、タワーイースト(東棟)、タワーウエスト(西棟)の2棟で構成され、その頂部を連結するように円形の空中庭園展望台を設置する独特の形状を持っています。世界的にも有名な建築物で、空中庭園には多くの外国人観光客が訪れています。
あべのハルカスは平成26(2014)年に開業しました。300mの高さをほこり、2019年現在、日本でもっとも高い超高層ビルです。百貨店や美術館、オフィスやホテル、展望台などが入っており、たくさんの人々を集めています。
明治時代の高層建築である「眺望閣」もみてみましょう。明治21(1888)年7月、大阪府今宮村(現在の浪速区日本橋3丁目あたり)に建設された遊園地「有宝地」内にありました。高さ約31m、八角形木造五階建のパノラマタワーは、2階建てをこえる建物が珍しかった当時、大勢の観光客を集めました。翌年、北野村(現在の北区)に建てられ「北の九階」と呼ばれた「凌雲閣」とともに、「眺望閣」は「南の五階」と呼ばれ、人々に親しまれました。

大阪木津川尻エヤポート 

平成6(1994)年9月 関西国際空港開港

平成6(1994)年9月14日、泉州沖5キロメートルの海上人工島に24時間利用可能な関西国際空港が開港しました。
大正から昭和初期にかけて、大阪は民間航空輸送の中心ともいうべき位置を占めていました。大正12年7月に設立された日本航空株式会社は、大阪木津川尻の船町(現大正区)に基地を設けて大阪‐小豆島‐別府間の定期航空輸送を始めていましたが、 昭和4(1929)年4月1日に木津川飛行場は正式に「大阪飛行場」として公共用飛行場に指定されました。
こちらは、その頃の木津川飛行場の空中写真です。
木津川飛行場は、手狭なうえに工場に囲まれているため飛行機の離着陸に支障をきたしていました。昭和9(1934)年の煙霧が原因で起こった飛行機の墜落事故をきっかけに、昭和14(1939)年に兵庫県神津村(現伊丹市)に移転し、大阪第二飛行場(伊丹飛行場)として開場、同年木津川飛行場は閉鎖されました。その後、大阪第二飛行場は昭和34(1959)年に大阪国際空港と改称します。昭和40年代に騒音等の公害問題が生じたため、大阪国際空港に代わって、平成6年に関西国際空港が開港したのです。

大地震両川口津浪記 

平成7(1995)年1月 阪神・淡路大震災で被害
平成30(2018)年6月 大阪北部地震

平成7(1995)年1月17日5時46分、淡路島北部を震源とする兵庫県南部地震が発生し、阪神地域に甚大な被害を及ぼしました。大阪市内でも震度4を記録しました。阪神・淡路大震災から13年が経過した平成30(2018)年6月18日7時58分、大阪府北部を震源とする地震があり、大阪府高槻市、大阪市北区などで震度6弱を観測しました。
幕末期の大坂では、嘉永7(1854)年に3度の地震に見舞われました。6月14、15日の伊賀上野地震、11月4日の安政東海地震、翌5日の安政南海地震です。11月5日夕刻、安政南海地震によって生じた津波は安治川や木津川の河口から入り込み、大坂市中の堀川に沿って遡上し、大坂の町に甚大な被害を与えました。
『大地震両川口津波記』は、安政2(1855)年7月に建立された津波被害者追善供養碑の碑文を刷った瓦版です。安政南海地震に際して、同様の地震後の津波の被害を被った宝永4(1707)年の宝永地震の経験を活かすことができなかった当時の人々は、後世の人が同じ過ちを繰り返さないように石碑に碑文を刻みました。この碑文には、大地震が発生した際には必ず津波が来るから、川船に乗って堀川に避難してはならないという教訓が記されています。この石碑は、浪速区幸町三丁目の大正橋東詰に現存しています。

Osaka 大阪の観光 電気科学館・プラネタリウム/プラネタリウム 

平成8(1996)年7月 新大阪市立中央図書館オープン

現在の大阪市立中央図書館は、平成8(1996)年7月にリニューアルオープンして早20年以上たちました。建替工事期間中、1989(平成元)年5月31日に閉館した「電気科学館」に間借りさせていただいき、仮営業していたことはご存知でしょうか。
「電気科学館」は、大阪市電気局が電気供給事業10周年の記念事業として計画したもので、昭和12(1937)年3月13日に四ツ橋にオープンしました。この絵葉書の左下にあるプラネタリウムは、当時の最先端の技術を持つドイツのカール・ツァイス社製で、東洋初というものでした。長年、さまざまな先進的な展示を行い、多くの人々が訪れた電気科学館は、平成元(1989)年5月31日に52年の歴史に幕を閉じました。その活動は、平成31年3月30日にリニューアルオープンした「大阪市立科学館」にひきつがれています。

ルナパーク 

平成13(2001)年3月 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンオープン

大阪市此花区にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパンは、平成13(2001)年3月 31日に開業しました。アメリカの映画産業の中心地ハリウッドにあるユニバーサル・スタジオ初の海外進出という話題性もあって、初年度の来場者は1100万人を数えましたが、翌年以降は年間800万人程度に低迷しました。しかし、開業10周年を契機に、大人向けの映画のテーマパークから、家族で楽しめるテーマパークへと方向転換したことで、来場者数が回復し、今や日本を代表するテーマパークとなりました。
明治45(1912)年、今日のテーマパークにも通ずる遊園地「ルナパーク」が大阪に誕生しました。明治36(1903)年に開催された第五回内国勧業博覧会の跡地に、明治42(1909)年、大阪市は天王寺公園を建築、残りの土地を大阪土地建物株式会社に貸与し、同社は明治45(1912)年7月3日、一大娯楽場「新世界」を開業しました。街の南側には興行街、北側にはパリを模した放射状に街路が延びた商店街、中央にはアメリカ流の遊園地「ルナパーク」、街の中心にはエッフェル塔に似せた「通天閣」が配置されました。ルナパークには、高速で回転する遊戯機械「サークリング・ウエーブ」などのアトラクションや、白塔と通天閣の間にロープウェイが設置され、開業当初は人気を博しましたが、明治天皇の崩御や折からの不況などにより次第に人気が衰え、その後数回の改造を経て、大正14(1925)年には複数の映画館などからなる興行街へ変貌を遂げました。

(大阪城公園)第四師団司令部 

平成13年(2001)11月 大阪歴史博物館開館

大阪歴史博物館の前身は、大阪城公園内にあった大阪市立博物館であり、同館は旧陸軍第四師団司令部庁舎を利用して昭和35(1960)年12月1日に開館、平成13年(2001)3月末に大阪歴史博物館開館に伴い閉館しました。
第四師団司令部庁舎は、昭和4(1929)年に大阪市が昭和御大典記念事業として募った寄付金により、昭和6(1931)年に大阪城天守閣の再建とともに竣工しました。
こちらは竣工当時と思われる第四師団司令部の絵葉書です。
第四師団司令部庁舎は、戦争末期には中部軍司令部、終戦後は駐留軍施設として利用されましたが、昭和23(1948)年に自治体警察設置のため大阪市警本部として返還されました。その後、警察制度の改正で警察が市から府へ移されると、この建物も大阪府警本部の庁舎となりましたが、大手前府警庁舎が完成するにおよび昭和33(1958)年、再び府警から市へ返還されました。これにより、大阪市は旧第四師団司令部の歴史博物館への転用構想をまとめ、昭和35年(1960)12月に大阪市立博物館として開館の運びとなりました。40年を経た平成13(2001)年3月末に閉館、大阪城と難波宮を望む法円坂に移転し、平成13(2001)年11月に大阪歴史博物館として生まれ変わりました。

恋八封柱暦 

平成15(2003)年11月 人形浄瑠璃・文楽がユネスコの世界無形遺産に選定される

国立文楽劇場にて、近松門左衛門生誕350年、没後280年を記念して「近松名作集」を上演中の平成15(2003)年11月7日、人形浄瑠璃文楽はユネスコによって「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」として宣言されました。
当公演の演目『おさん茂兵衛大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)』を当館所蔵の浄瑠璃本でご紹介します。
こちらは、幕末・明治期に浄瑠璃三味線方で活躍した五代目野澤吉兵衛の遺文庫の中の1冊『おさん茂兵衞戀八卦柱暦(こいはっけはしらごよみ)』です。京都の大経師の妻おさんと手代茂兵衛との密通事件を題材にした作品で、近松三姦通の一つとして知られています。『大経師昔暦』は正徳5(1715)年に竹本座で初演された後、文元5(1740)年に改作された『恋八卦柱暦』がもっぱら伝えられてきましたが、昭和58(1983)年に鶴澤燕三の尽力により、東京国立劇場で復活上演されました。

(大阪名所)地下鉄高速度電車 

平成30(2018)年4月 大阪メトロ誕生

大阪市交通局が運行してきた大阪市営地下鉄は、平成30(2018)年4月1日から民営化され、大阪市高速電気軌道株式会社(愛称はOsaka Metro(大阪メトロ))に引き継がれました。公営地下鉄の民営化は全国で初めてのケースです。
明治36(1903)年9月12日、日本初の公営路面電車である大阪市営電気鉄道(市電)の開業(花園橋西詰‐築港桟橋間開通)に始まり、昭和8(1933)年5月20日、これもまた日本初の公営地下鉄である大阪市営地下鉄の梅田‐心斎橋間の開業を経て、平成30(2018)年3月31日に大阪市営交通事業は114年の歴史に幕を閉じました。
こちらの「(大阪名所)地下鉄高速度電車」は、開業当時の地下鉄淀屋橋停留場の絵葉書です。
高いアーチ式の天井を持ち、その中心の頂部には逆三角形の照明器具が輝き、土佐堀川にちなんで青色のタイル装飾が壁面を飾った壮大な地下空間に当時の人々は目を見張ったと伝えられています。

港区千舟橋附近 

平成30(2018)年9月 台風21号近畿地方を縦断

平成30(2018)年8月28日に南鳥島近海で発生した台風第21号は、9月4日近畿地方を縦断し、記録的な暴風と高潮となりました。大阪府泉南郡田尻町(関西国際空港)では最大瞬間風速58.1メートル、大阪市では最高潮位329センチメートルを観測しました。これらの影響で、関西国際空港の滑走路の浸水や航空機・船舶の欠航、鉄道の運休等の交通障害、断水や停電、電話の不通等ライフラインへの被害が発生しました。この台風21号は、第2室戸台風(1961年)やジェーン台風(1950年)に進路が似ていると言われています。
こちらは、『昭和二十五年九月三日ジェーン台風記録写真』に収録されている港区千舟橋附近の写真です。
ジェーン台風は、昭和25(1950)年9月に四国・近畿地方を縦断し、大きな被害をもたらしました。大阪湾での潮位は、昭和9(1934)年の室戸台風時より低いものでしたが、浸水面積は室戸台風時の約2倍、最大浸水深は4メートル近くになりました。昭和10年頃から急速に進行した地盤沈下が高潮災害の原因だと考えられています。この高潮被害を受けて、大阪府・大阪市は昭和25(1950)年12月に「西大阪高潮対策事業」を決定し、昭和34(1959)年3月に完成をみました。

<主な参考文献>