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大阪のさまざまな祭
展示期間:2019年12月 1日~2020年 2月29日

大阪では天神祭に代表されるように地域に根付いた伝統のある祭や万国博覧会のような国を挙げての大規模な祭が行われてきました。当館所蔵のさまざまな「祭」の資料を紹介します。★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。

今宮蛭子宮 (浪花百景) 

境内を埋め尽くす人・人・人。新しい年を迎えた「商都」大阪に相応しい祭の光景です。これは歌川国員、歌川芳瀧、歌川芳雪の合作で出版された「浪花百景」に描かれた今宮戎神社の様子です。1月9日の「宵戎」にはじまり、10日の「本戎」、11日の「残り福」の3日間にわたって行われ、現代では延べ90万人近くの参拝者が訪れます。今宮戎神社でまつられている戎様は、鯛と釣竿を持っているようにもともとは豊業をもたらす神様として信仰されていましたが、商業経済の発展に伴い「市」の神、福の神の性格が強まっていったそうです。今にも参詣者のにぎやかな声が聞こえてきそうです。

天満天神地車宮入 (浪花百景) 

天神祭に関する「浪花百景」の錦絵は国員、芳瀧の3枚があります。こちらの錦絵は芳瀧によるものです。天神祭は菅原道真を祭神とした大阪天満宮の夏祭で、今でも7月24日に宵宮、7月25日に本宮がとりおこなわれます。
地車宮入は船渡御と並んで天神祭のハイライトとされます。「天満天神地車宮入」は、町々から数十基も出されたという地車が、宵宮に勢いよく宮入する風景を描いています。山車には神が降臨する移動神座の役割がありました。

天神祭り夕景 (浪花百景) 

船渡御とは、神輿を船に乗せて川や海を渡る神事のことで天神祭本宮のメインイベントです。御神霊を乗せた神輿船のほかにも篝火や松明を灯した供奉船や奉拝船、舞台船、見物船などが川面を埋め尽くし、その数は百隻にも及んだと言います。大川の両岸では蔵屋敷は紋入りの提灯を献灯し、店は行燈を掲げました。花火講によって奉納花火が打ち上げられると、昼間のような明るさが八方を照らしたと言われています。「天神祭り夕景」では今も変わらない華やかな祭礼の様子が描かれています。

戎嶋天満宮御旅所 (浪花百景) 

天神祭は左遷された菅原道真の御霊を慰め、罪けがれを祓う神事として始まりました。起源は天暦5(951)年社頭の浜から神鉾を流し、漂着した地をその年の御旅所(おたびしょ)とし、船渡御を行ったこととされています。御旅所とは、神社の祭礼で、祭神が巡幸するとき、仮に神輿を鎮座しておく場所のことです。「戎嶋天満宮御旅所」では戎嶋天満宮御旅所(現・大阪市西区)の大きな鳥居と御迎人形船などが主に描かれています。

摂津名所図会 

摂津名所図会には見開き4枚、8頁に渡って天神祭船渡御の様子が書かれています。難波橋の出発点から戎島天満宮御旅所の到着地点までを描いた大パノラマ図です。其二に堂島川を下る渡御船列が描かれています。左下すみの橋は渡辺橋です。其一の難波橋付近にはたくさんの人で賑わっている様子が見られますが、渡辺橋にはこれから神輿船が通過しようとしているため、通行止めになっていており、見物人の姿がありません。

祭礼獅子舞/官幣大社生魂神社/祭礼御輿/祭礼鳳輦/祭礼子供御輿 

生国魂神社は「いくたまさん」の名でしたしまれ、大阪市天王寺区生玉町に鎮座し、生島神・足島神をまつっています。中世には石山本願寺に隣接して建てられていましたが、豊臣秀吉によって現在地に移建されます。明治4(1871)年官幣大社に列し、社殿、祭祀の整備拡充が図られますが、太平洋戦争の戦火によりほとんどの社殿が焼失してしまいました。昭和31(1956)年に鉄筋コンクリート造りで復興され現在にいたります。
祭祀、恒例式のほか、現行特殊慣行神事など多数の祭がありました。今回紹介する絵はがきには御輿や鳳輦(ほうれん)、子供御輿などの様子が写っており、戦前の祭の様子が分かります。

大阪商工祭 大阪帽子同業組合 行列大阪城内集合 

大阪商工祭は、大阪の経済に関った先覚者の英霊を合祀し、本市の商工業発展を行うことを目的に、大阪商工会議所が主体になって行われました。第一回は昭和8(1933)年11月2日から4日の日程で開催さ、期間中にはさまざまな行事が企画されました。11月3日には大阪商工祭行列という仮装パレードが実施されました。パレードは午前10時に堂島にあった大阪商工会議所を出発して大阪城に向かい、午後1時に大阪城から天王寺公園へと進みました。写真はこの行列に参加した大阪帽子同業組合とみられます。帽子同業組合のほかに大阪洋服商同業組合、大阪菓子商同業組合などが参加しました。なお、大阪商工祭は昭和10(1935)年11月1、2日に第二回が実施されました。

大阪商工祭 大阪帽子同業組合 仮装人形(其一) 

第一回大阪商工祭では11月2日に商工祭行列としてパレードが実施され、本会主催行列と各種団体主催行列が実施され、大阪帽子同業組合は二千人が参加したと記録されています。『大阪商工祭記念誌』の口絵には「大阪帽子同業組合の商工祭仮装行列」とキャプションのある集合写真がありますので、この画像は第一回時のものと考えられます。同組合の行列に参加した際の写真はデジタルアーカイブに複数登録されており、さまざまな仮装を見ることができます。
デジタルアーカイブで大阪商工祭をキーワードで検索してほかの行列の様子や花電車などの画像もぜひご覧ください。

第五回内国勧業博覧会電灯装飾之図 

明治時代以降も大阪ではさまざまな祭が行われ、これまでの伝統的な祭とは異なり、明治政府によって開催された近代的博覧会などが実施されていきます。第五回内国勧業博覧会は明治36(1903)年3月1日より153日間の期間で開催されました。435万人あまりが来場し、内国勧業博覧会中で最大規模になりました。
絵には博覧会に来場した5人の女性が夜の博覧会会場を楽しんでいる様子が描かれています。会場内には展示館のほかにメリーゴーランドやウォーターシュートなど娯楽性の強い遊戯機械なども付設されていました。この博覧会では日本初のパビリオンの夜景を飾るイルミネーションが導入されるなど会場の夜景の演出手法も重要な見せ場だったと言います。