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大阪古地図集成のデジタルアーカイブ公開にちなんで
展示期間:2018年 3月 1日~2018年 5月31日

はじめに

『大阪古地図集成』とは、大阪都市協会が発行していた機関誌『大阪人』に、「大阪建設史夜話」と題して連載されていたコラムをまとめた『大阪建設史夜話』(玉置 豊次郎/著 大阪都市協会, 1980年刊)の付図です。
全25図あり、その大半をこのたびデジタルアーカイブに公開しました。
古地図は主に江戸期に出版された絵図を指し、現代の地図とは、縮尺、記号、絵画的表現などがずいぶん異なります。
今回は、『大阪古地図集成』のうち5点と関連するもの4点をご紹介します。味わい深い古地図の世界をお楽しみください。

難波往古図 ; 河州雲茎寺什物 (大阪古地図集成 第1図) 

『大阪古地図集成』から最初にご紹介するのは『浪速往古図』です。
実はこの地図、古そうだというだけで、成立年代も制作者も不明なら、「河州雲茎寺」がどこにあったのかすらわからないという謎だらけの地図です。
例えば画面の左下から流れてくる柏原川が、「堀江」「入江」と記された2箇所で分かれ、画面中央やや下に見える「難波江」「難波之入江」「木津」で大阪湾(この図では「高津海」)に流れ込む3本の支流となって上町台地を輪切りにしています。大阪の地形でこんなことがあったためしはありません。そのため、この地図の資料としての価値は極めて疑わしいとされています。
 このようなこの古地図ですが、現存する地名、町名を多数確認する事ができます。例えば先ほど紹介した柏原川の分流のうち南(図では右)のまわりには「桑津」「帝塚」「阿倍野」「木津」のような今もなじみのある地名を見出す事ができます。そのため、「嘘」の地図であっても何か懐かしさを感じさせる地図になっていると言えそうです。

増修大坂指掌図 〈裏面〉 (大阪古地図集成 第10図) 

こちらは『大坂指掌図〈裏面〉』です。寛政9(1797)年に出版されたこの絵図の表面は一般的なこの当時の市街図ですが、裏面は宇治川につながる伏見付近から大阪湾に到るまでの淀川水系を描いたもので、淀川の伏見から川尻までの全域を描いた珍しいものです。
支流を丁寧に見ていくと大阪城近くに「古大和川」という川を見つけることができます。
大和川が大阪市南部を通る現在の流れになったのは、宝永(1704-1711)の頃です。古くは柏原から河内平野を通って、上町台地の北辺、現在の鴫野あたりを通ってから淀川に合流していました。
この図の豊かな水流を見ていると、大阪が「水の都」と呼ばれた理由がわかります。

浪花風流月旦評名橋長短録 

水の都大阪には「八百八橋」とうたわれるほど多くの橋が架かっていました。左に掲げたのは嘉永6(1853)年に『浪花風流月旦評名橋長短録』という、有名な文化人と橋の長短を比較させたランキング(番付)です。何でも橋や川に例えるという様は、大阪の町人にとって川や橋がいかに親しまれたものであったかを示しているかのようです。

改正摂州大坂之図 (大阪古地図集成 第13図) 

これは天保7(1836)年に発行された絵図です。「摂州」というのは「摂津国」の別称であり、現在の大阪府北西部と兵庫県南東部にあった旧国名です。
当時の大阪は街中をたくさんの川が縦横無尽に流れていました。その様子が良くわかる図です。
この図の左下部に「俗ニ天保山ト云」と記述があります。次の図をご覧ください。

諸國名橋竒覧;摂州阿治川口天保山 

天保山は、天保2(1831)年に安治川の水底をさらい、その土砂を盛り上げて作った人工の山です。葛飾北斎が描いた、当時の雰囲気が伝わる『諸國名橋竒覧:摂州阿治川口天保山』も当館デジタルアーカイブでご覧いただけます。

弘化改正大坂細見図 (大阪古地図集成 第14図) 

近年「南海トラフで大地震、その時は大阪でも大被害」と心配されるようになりました。実は、今日で言う南海トラフ付近を震源とした地震は、過去何度も起こっています。ここでは「安政大地震」にかかわる地図を紹介します。
旧暦嘉永7年11月4日(西暦1854年12月23日)、午前8時ごろ遠州灘沖で東海地震が発生しました。さらに翌日午後4時ごろ紀伊半島沖で南海地震が発生しました。大阪では、地震そのものの被害もありましたが、むしろその後の津波による被害が甚大でした。地震後の11月27日に「安政」に改元されたので、この地震は「安政南海地震」と呼ばれています。
『大阪古地図集成』の中で最も年代の近い『弘化改正大坂細見図』(弘化2(1845)年)では、当時の市街地の様子を窺えます。

[嘉永七年大阪市中洪水之図] 

こちらは安政南海地震による大阪での津波被害について絵図でまとめた瓦版で、水色は浸水地域(現在の大正・浪速・西の各区)を示し、道頓堀川には安治川や木津川の河口に停泊中の船が市中の堀川に入り込んだ様子も描かれています。上の『弘化改正大坂細見図』と比較してみてください。なお元々の絵図は北が下なので比較の際はご注意ください。
また、現在、京セラドーム東にかかる大正橋の東詰(北側)に、安政2年(1855年)7月建立の安政大津波碑が建っています。そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだ、と教訓が書かれています。

改正増補国宝大阪全図 (大阪古地図集成 第15図) 

『改正増補国宝大阪全図』も幕末期の地図です。左上の附け書に「大阪産物名物大略」や主な橋の一覧があったり、右端中ほどに見える「玉造村」の近くには「宰相山仁徳天皇稲荷又真田山穴ノホコラト云」と大阪城の抜け穴伝説を匂わせたりと、都市地図のように見えて、その一方観光案内的地図のようにも見えます。

浪華名所独案内 

大阪の名所や景勝地を紹介した絵地図は、江戸時代に入ると数多く刊行されました。美しい風景や寺社旧跡、芝居小屋や有名商店を名所としてちりばめた絵図です。その中でもよく知られたものが『浪華名所独案内』(暁 鐘成/図)です。作成年代は不明ですが、おおむね天保期のものといわれています。観光案内図として『改正増補国宝大阪全図』と比べてみると、絵図の楽しさを感じることができます。
なお『浪華名所独案内』は東が上になります。

<主な参考文献>