Webギャラリー インターネット上のバーチャルなテーマ展示です

戻る

江戸時代の“絵本”
展示期間:2019年 3月 1日~2019年 5月31日

江戸時代においては、絵を主体にし、物語に添えられた絵を楽しむ「絵入りの和本」などが作られていました。
こういった史料の挿絵は、当時の風習や風俗などが描きこまれており、絵を追うだけでも楽しめます。
今回は、そういった絵入りの本をご紹介します。
★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。

画本古鳥図賀比:上中下 

京町堀で酒屋を営んだのちに骨董商に転じ、浄瑠璃や絵画をたしなむ趣味人であった耳鳥斎(にちょうさい)は、近世の大坂画壇では極めてユニークな存在です。生年は不詳、没年も享和3年(1803年)頃といわれ、その生涯の多くは不明ですが、「木村蒹葭堂(けんかどう)日記」にも登場するなど交際範囲は広く、平賀源内は耳鳥斎の熱烈な愛好者だったといわれています。後世の漫画に大きな影響を与えた「鳥羽絵」(とばえ)が広まる中、きまった師匠をもたず、軽妙洒脱な独自の作風を作り上げました。
「世界ハ是レ即チ一ツノ大戯場」と世間を喝破した耳鳥斎の、戯画の世界をお楽しみください。

狂歌浪花のむめ 

狂歌とは、「構想・用語に、滑稽(こっけい)・洒落(しゃれ)を盛りこみ、ユーモアを内容とする和歌。」(『全文全訳古語辞典』小学館,2004 より)です。この史料には、絵を添えた狂歌だけでなく、浪花の名物紹介を付け加え、地誌的な資料にもなっています。撰者の「陰山 白縁斎」は「白縁斎梅好(はくえんさいばいこう)」のことで、狂歌だけでなく画にも優れていました。この史料の絵師は『狂歌書目集成』(菅 竹浦/編纂 臨川書店, 1977)によると、陰山玉岳です。全5巻。

大坂往来;絵入文章,;御家流 

往来物とは、平安時代後期から明治初期にかけて用いられた初等教科書の総称です。江戸時代では寺子屋の教科書用に編まれ、庶民の教育に大きな役割を果たしました。この史料は「大坂往来」(作者不詳)という江戸前期に刊行された史料を大幅に増補したものです。年中行事や地誌的な解説に、蔀 関牛(しとみ かんぎゅう)の精緻な挿絵「年始初礼」「天神神夕涼」など全8図が添えられています。蔀 関牛は大阪浮世絵の大家、月岡雪鼎(つきおかせってい)の門下である蔀 関月(しとみ かんげつ)を父に持ち、父に画を学びました。蔀 関月の著書『山海名産図会』は、当デジタルアーカイブに収載しています。
ぜひ、繊細な筆づかいを堪能してください。

大坂物語:絵入 

上下2巻2冊の絵入り仮名草子として刊行された大坂の陣を主題とする軍記物です。上巻は冬の陣の和議が成立した慶長19年まで、下巻は翌年5月の夏の陣終結直後に刊行されたのではと推測されています。また、古活字本数種と、近世末に至るまで度々出版された整版本など多数あります。この『大坂物語』は今日の新聞に類する速報性を持つものであり、当時の人々の合戦への関心の高さがうかがえます。

竹原春朝斎画本 

竹原春朝斎(たけはらしゅんちょうさい)は、江戸時代中期-後期の浮世絵師。大坂の人。坂本春汐斎の門人で、「世間化物気質(せけんばけものかたぎ)」など浮世草子や狂歌本の挿絵を手がけました。安永7年『名物浪花のながめ』([陰山 梅好/著] ; [竹原 春朝斎/画])、9年『都名所図会』([秋里 籬島/著] ; [竹原 春朝斎/画])など各地の図会を描き、名所図会の形式を開拓しました。
『摂津名所図会』([秋里 籬嶌/著] ; [竹原 春朝斎/図画])の画をかいたことでもよく知られています。

絵本おどりづくし: 全 

この資料は、流行の座敷芸を図解したもので、さまざまな踊り方の独習本で、一コマに手振り、身振りが図解されており、かけ声等も記載されています。
土田衛「「都風流大踊」考」(『歌舞伎・浄瑠璃』 国書刊行会, 1993)によると、宝暦6年京早雲座の「すゞめおどり」、宝暦13年大坂角座の「すゞめおどり」の振りは、当資料にある「雀踊」に相当すると考えられています。また、国立国会図書館デジタルコレクションに収載されている『稀書複製会刊行稀書解説. 第6編』(稀書複製会 [編]  米山堂 昭和3至9)によると、「大阪の盆踊りを図式にして、男女の手振り二十三番を見せたる絵本」とあります。絵師である竹原春朝斎は、秋里籬島とコンビを組んで、様々な名所図会を刊行しました。名所や名物などの解説に写実的な絵を加え、非常な人気を博しました。この絵本も、踊り手の着物や小物も丹念に描かれており、眺めているだけで楽しい資料です。

画本道の手引 

画の丹羽桃渓(にわとうけい)は江戸時代中期-後期の画家です。宝暦10(1760)年生まれの大坂の人。蔀(しとみ)関月に学び、絵本や狂歌本の挿絵を多く描きました。風俗人物を得意とし、精緻な版刻挿絵も多く手がけました。画業の傍ら、大坂で鉄物商を営んでいた狂歌師 鉄格子 波丸(てつごうし なみまる)の門人で狂歌もよくし、遅道と号していました。
また、「画本道の手引」は、江戸期のことわざの研究にも用いられる資料です。画像に書かれた文章の冒頭に「弱みに付込(ツケコ)む風の神ハ」と書かれています。この文言に関することわざをご紹介します。
「弱みに付込(ツケコ)む風の疫神」
(意味)弱いところに乗じてはいりこむ。相手がうしろめたさをもっていることにつけ入る。忙しかったり金に不自由したりして、とても寝込んでいられないような時にかぜをひくこと。悪いことが重なるさま。

絵本連理片袖;大念仏寺,霊宝略伝 

十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は江戸時代後期の戯作者。本名重田貞一。十偏舎・十偏斎・重田一九斎とも称しました。『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』の作者としてよく知られます。
一九は曲亭馬琴とともに執筆料だけで生活を維持した、最初の職業作家でした。
黄表紙、狂歌をはじめとした著作も多く、洒落本、人情本、読本、滑稽本は『膝栗毛』のほか『(滑稽)江の島土産』『金草鞋』など紀行物や『(風流)田舎草子』など地方色豊かな作品もあります。全著作数はほぼ300種以上になります。
「絵本連理片袖;大念仏寺,霊宝略伝」は十返舎一九、47歳の作品です。

<主な参考文献>