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写真・絵葉書でめぐる大阪の近代建築
展示期間:2019年 9月 1日~2019年11月30日

大阪の近代建築は、明治4(1871)年開業の造幣局に始まり、その後「大大阪」と呼ばれた大正後期から昭和初期にかけて、多様で多彩な展開を見せました。時代を超えて様々に変化・発展しながら、 今なお生き生きとその魅力を物語る「生きた建築」を当館所蔵の写真・絵葉書で紹介します。
★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。

中之島図書館 

大阪府立中之島図書館は、江戸時代から大阪を本拠地として事業を続けてきた住友家の第15代住友吉左衞門友純(ともいと)が図書館建物と図書購入資金を寄贈したことによって建設されました。住友臨時建築部の建築家だった野口孫市氏設計のもと、明治37(1904)年に本館中央部十字形部が竣工され、大正11(1922)年に本館両翼及び書庫部分が野口氏の部下の日高胖氏の設計により増築されました。こちらの写真は建設当時の、まだ両翼を持たない頃の写真です。中央に円筒形の建物を配した左右対称構成で、ギリシャ・ローマの神殿建築様式を忠実に踏襲した大阪を代表する近代建築です。アカンサスの葉が施されたコリント式の円柱が支える大きく立派なペディメント(破風)、その奥の壁面に設けられた特徴的なアーチ窓と重厚な正面玄関。十字中央部の天井は美しいカーブを描く青銅製のドームを頂きます。内部の装飾も見事で、ドームを見上げる吹き抜けの空間には、末広がりに優美なカーブを描く大階段が配され、三階には壁に沿って回廊が巡らされています。ドームに穿たれた明かり採りの円形の天窓からはステンドグラス越しに柔らかな光が注ぎ込みます。100年前から変わらず、訪れる人々を魅了する建物は、昭和49(1974)年、国の重要文化財に指定されました。

(大阪名所)中の島公会堂 

大阪市中央公会堂は、北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助の寄付金により、市民のための集会施設として、大正7(1918)年に竣工しました。指名設計競技に一等当選した岡田信一郎の設計案をもとに、辰野金吾、片岡安(やすし)が実施設計を行いました。
ネオ・ルネッサンス様式を基調とし、「辰野式」と呼ばれる赤煉瓦と白い花崗岩(一部人造石)のコントラストが美しい外観をもつ大阪の近代建築を代表する建物です。
開館以来、ヘレン・ケラーや宇宙飛行士ガガーリンの講演会が行われるなど、数々の歴史を刻んできましたが、昭和40年代には建て替えの危機に瀕しました。しかし、市民による保存運動の結果、昭和63(1988)年に保存・活用の方針が決定され、平成14(2002)年9月、耐震工事やバリアフリー化なども含めた改修工事が完了しました。
平成14(2002)年12月には国の重要文化財に指定され、現在も「生きた建築」として大阪の人々に愛され親しまれています。

正面玄関 

大阪ビルヂング(ダイビル本館)は、設計は渡辺節氏により、大正14(1925)年に竣工されました。2階から上層部は平板とも思えるシンプルなデザインですが、1階部分やエントランス内部には彫刻やレリーフなどの華やかな装飾がふんだんに施されています。正面玄関上部には彫刻家・大国貞蔵が手がけた「女の像」が飾られていました。ネオ・ロマネスク様式の大規模なビルとして、大阪を代表する近代建築でした。
残念ながら、旧ダイビル本館は老朽化などの理由から平成21(2009)年に解体され、 平成25(2013)年に新しく超高層ビルが再築されました。その際、旧ダイビル本館の旧素材を用いて外観やエントランスホールなどが精巧に復元されました。外壁に使用されていたスクラッチ煉瓦は手作業で取り外され、約18万個もが再利用されています。こちらの写真に写る美しい正面玄関も新ダイビル本館に引きつがれています。
「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」に選定されています。

住友ビルデイング 

住友ビルディングは、旧住友本社と連系各社の本拠として大正15(1926)年に第一期、昭和5(1930)年に第二期工事が完成しました。設計は、優秀な建築家を集めた組織である住友合資会社工作部が担当しました。この組織は、明治28 (1895)年設立の住友銀行本社ビルの建設を目標として明治33(1900)年に結成された住友本店臨時建築部が、住友総本店営繕課を経て、大正10(1921)年に住友合資会社工作部へと改称されたものです。臨時建築部の創設から30年もの歳月をかけて住友ビルディングは完成しました。
土佐堀川に面した正面には、柱頭に渦巻の装飾が施されたイオニア式の2本の円柱が配され、黄褐色の重厚な外壁には、黄竜山石と大理石を砕いて混ぜた擬石が用いられています。重厚で質実な外観とは対照的に、コリント式の円柱が林立し、植物をモチーフにした装飾を駆使した内部の営業室の豪華さは圧巻です。
大阪の近代建築を代表する規模と美しさを誇るこの建物は、戦災をくぐり抜け、現在でも三井住友銀行大阪本店として使用されています。
また、「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選定されています。

島之内基督教会正面 

明治15(1882)年、信徒たちは会堂を建設し、同志社英学校予科在学中の上原方立(まさたつ)を仮牧師に招いて、島之内教会を設立しました。
昭和3(1928)年、建築家であり、建築批評の論客でもあった中村鎮(まもる)の設計による現会堂が竣工しました。設計者自身が開発した「中村式鉄筋コンクリートブロック構造」による3階建の陸屋根(平らな屋根)をもつ建物です。正面に大階段を構え、6本の角柱を並べて玄関を造り、化粧ブロックを積み上げて、正面を強調しています。
昭和20(1945)年3月の大阪大空襲によって島之内教会は炎上し、大半が焼失しましたが、昭和25(1950)年に復興工事を終え、現在では会堂を使用しての音楽会、講演会、結婚式など、多方面で活用されています。
近代における建築構造の発展過程を示す建築物として評価され、平成21(2009)年に国の登録有形文化財に指定されました。

大阪・南海高島屋全景/七階サロン大食堂/一階雑貨売場/四階呉服サロン 

4代目の南海難波駅として建設された巨大なターミナルビルで、設計は久野節建築事務所が担当、昭和7(1932)年に完成しました。建設当初より高島屋が南海店として入居しており、日本で初めて冷暖房を装備した百貨店でした。高さ170メートルにもなる壁面には16本のコリント式の柱、4フロアに渡る3連窓のアーチが並び、華麗さと力強さを備えた佇まいです。巨大な列柱はアカンサスの葉が施され、坪飾りを冠しています。細やかな装飾はテラコッタタイルによるもので、当時ほかに例を見ないほどの量が使用されたとのことです。平成19(2007)年から平成21(2009)年にかけて大リニューアル工事が行われ、内部は機能性の高い現代的な建物に生まれ変わりましたが、外観は当時の荘厳な姿のままで、今も昔も変わらぬミナミの街のランドーマーク的な名建築です。平成21(2009)年に国の登録有形文化財に指定されました。
また、「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選定されています。

産業日本の心臓たる大大阪を象徴する御堂筋大街路の一角、巍然として聳え立つ白亜の一大高廈(ガスビル全景) 

設計は、「大阪倶楽部」「高麗橋野村ビル」など名建築を生んだ安井武雄氏、昭和8(1933)年に竣工されました。水平と垂直というシンプルなラインで構成されたモダンなデザインで、外装は1.2階には黒い石材が、3階から上は白いタイルが使用され、大阪で最も近代的で美しいビルディングと称されました。竣工当時、ビル内には事務所のほか、ガス器具陳列場をはじめ、講演場、美容室、喫茶室、料理講習室、食堂など、さまざまな施設があり、一般に開放されていました。本格欧風料理を提供することで人気を集めた8階のガスビル食堂は、現在も当時の雰囲気をとどめ営業しています。
戦中には、屋上ネオン塔、エレベーター、エスカレーター、手摺り、窓枠等が金属供出され、また白い外壁もコールタールで真っ黒に迷彩塗装されていました。 昭和20(1945)年3月の大阪大空襲では周囲が焼け野原になる中、大きな被害を免れましたが、昭和20(1945)年10月から27(1952)年5月まで、2階講演場と6階以上の部分等が進駐軍に接収され、宿舎として使用されました。戦後、高度経済成長に伴ってガスの需要が増え、昭和39(1964)年には北館が増築されましたが、南館の持つ風格を生かし、調和の取れた一体的なものとなっています。
平成15(2003)年、国の有形文化財に登録され、解説文には「水平垂直の要素を取り混ぜた外観や内部にも質の高い意匠を持つ,過渡期的近代建築の好例。」と評されています。近代都市の象徴のようなガスビルは、今も現役でオフィスとして使われており、「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選定されています。

学部本館正面 

大阪市立大学の前身である大阪商科大学は、昭和3(1928)年に開学しました。杉本キャンパスには、昭和8(1933)年から10(1935)年にかけて新しい学舎が建設されました。
キャンパス内には、当時の学舎のうち、現在の1号館(大阪商科大学学部校舎)、2号館(同大学予科校舎)、第1体育館(同大学体育館)、学生サポートセンター(旧図書館。同大学図書館・研究室)、旧第1書庫(同大学書庫)などが現存しています。
昭和9(1934)年竣工の1号館は、中央に時計台がそびえ、校舎が左右対称に伸びる姿が昭和初期の学校建築の特徴を表しています。一方、白いシンプルな箱形状の校舎と規則的に並ぶ窓にはモダニズム特有のデザインも見られます。
1号館をはじめとする学舎群は、日本インターナショナル建築会(昭和2(1927)年結成、8(1933)年解散)に属していた伊藤正文ら大阪市土木部建築課の技師によって、建築会の活動期間中に設計されました。そのため、モダニズム建築の実現という建築会の理念が反映されていると言われています。
なお、1号館は平成14(2002)年に国の登録有形文化財に指定されました。

(大阪名所)水都難波橋畔に聳ゆる大阪株式取引所の偉観 

江戸時代から経済活動の中心であった北浜に、明治11(1878)年、五代友厚らによって大阪株式取引所が創設されました。株式市場の拡大に伴い、市場建物の増改築が行われた後、昭和10(1935)年に大阪株式取引所市場館が竣工しました。設計を行なったのは、住友合資会社工作部から独立した長谷部鋭吉と竹腰建造が開設した長谷部竹腰建築事務所です。堺筋と土佐堀通の交差点に面して正面を構える市場館は、楕円形平面で3層吹き抜けのエントランスホール、4・5階に貴賓室と会議室、6階に集会室、そして4層吹き抜けの立会場を配し、北浜の象徴ともいうべき建物になりました。
終戦に伴う立会停止と終戦直後の占領軍による接収の後、昭和24(1949)年の大阪証券取引所設立と立会の開始を経て、株式取引業務のコンピュータ化のために平成11(1999)年に立会場は廃止されます。この後、市場館の建て替えが検討され、平成16(2004)年に24階建ての大阪証券取引所ビル(現大阪取引所ビル)が竣工しました。建て替えに際しては、エントランスホール部分の外観を保存し、旧市場館の輪郭が際立つように新築の高層部を後退させて建てるという方針のもと、ホールの床やステンドグラス、エレベーターの扉などはオリジナルのまま再利用され、ホールのシャンデリアや窓の金属格子などが復元されました。また、正面には五代友厚像が建立されました。「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選定され、現在も北浜のシンボルとして存在しています。

(大阪名所)新装なれる大阪市立美術館 

茶臼山一帯はかつて住友家の本邸があった場所で、住友家からの寄贈によりその本邸跡地に大阪市立美術館が建設されました。建築案を求めるコンペが行われましたが、財政難などの事情から計画は延期を重ね、案は実現しませんでした。結局は武田五一や片岡安らの指導の元、大阪市建築課によって設計され、昭和11(1936)年に開館しました。長い両翼をもつ左右対称の古典的な構成でありながら、スペイン瓦を用いた和風の屋根や東洋風の装飾などが取り入れられており、和洋が融合した自由な様式の近代建築です。戦時中、大阪の街はいくたびの空襲に襲われましたが、幸いにも美術館は災禍を免れ、無傷で終戦を迎えました。しかし、昭和20(1945)年から22(1947)年まで軍の接収を受けていた建物内部のダメージは大きく、復旧には莫大な費用と長い時間を必要としました。応急的な修復処置をして昭和23(1948)年に再開、その後部分的な改修を重ね、昭和52(1977)年から54年(1979)年にかけて大改修が行われました。戦渦を潜り抜けた美術館は、今も変わらず市民が芸術に触れ合う場所として親しまれています。
平成27(2015)年に国の登録有形文化財に登録されました。

<主な参考文献>