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鉄道からみる観光と寺社参詣
展示期間:2018年 9月 1日~2018年11月30日

近代化以降、日本では現在にも続く鉄道が次々開業していきました。その中には、通勤のためだけでなく、郊外にある寺社などの名所旧跡と都市をつなぐ路線もありました。大阪近郊を走った観光、参詣路線を中心に当時の絵葉書などを紹介します。
★展示期間終了後も「Webギャラリー一覧を見る」よりご覧いただけます。
「(大軌電車沿道名所)西大寺」は絵はがきのキャプションを確認中のため、Webギャラリーでの公開を中止しました。

新阪堺電車沿線図 

かつて、浪速区の芦原橋駅から堺市の浜寺駅までを結ぶ鉄道を経営していた阪堺電鉄株式会社がありました。昭和2(1937)年に芦原橋・三宝間が開業時し、その後、堺市の浜寺公園まで結びました(現在、大阪市内と堺市内を結ぶ路線電車を運営する阪堺電気軌道株式会社とは別会社になります。)。
昭和19(1944)年3月に戦時統制の一環として、大阪市電気局(現・Osaka Metro)に買収されます。昭和19年4月から昭和43年9月の期間に大阪市営の大阪市電阪堺線、通称三宝線として存続しました。現在は同一路線上を大阪シティバスが走っています。

(大阪名所)大軌ビルデング 

写真の大軌ビルディングは、大阪電気軌道株式会社(通称大軌。後の近畿日本鉄道の母体会社)が大正15(1926)年に建設した日本最初のターミナルビルです。このビルには、本社事務所のほか、大軌食堂、テナントの三笠屋百貨店などがありました。昭和11(1936)年に大軌百貨店が入り、現在の近鉄百貨店上本町店へと続いていきます。
大軌の前身は、明治43(1910)年9月に設立された奈良軌道株式会社でした。同年10月に社名を大阪電気軌道株式会社と変更、大阪上本町と奈良を結ぶ路線の建設に着手しました。大正3(1914)年4月に開業し、午前5時から午後12時まで、概ね10分ごとに発車し、上本町・奈良間30.8kmを55分で結びました。

生駒鋼索鉄道 中央ヨリ山麓ヲ望ム 

生駒山宝山寺は古くから信仰を集めましたが、宝山寺の参道沿に旅館、お土産屋、飲食店などが軒を連ね、門前町を形成するのは、大正3(1914)年に、大阪電気軌道株式会社(大軌)が上本町・奈良間を開業してからです(現・近畿日本鉄道奈良線)。大軌の生駒駅建設予定地から宝山寺までは約2kmの登坂が必要で、参拝利便の向上が要請されました。
生駒鋼索鉄道株式会社が大正3年に創設され、大正4年10月に工事着工、大正7年8月に鳥居前・宝山寺間の営業が開始されました。大正10年11月に大軌と合併し、近畿日本鉄道生駒鋼索線として現在に至ります。宝山寺駅周辺の宅地化に伴い、参詣、観光線とともに、住民の通勤通学の重要な足としても現在も活躍しています。

(東大阪郊外名勝)生駒山宝山寺 

宝山寺は生駒山東側中腹(奈良県志駒市門前町)に位置する真言律宗の寺院です。古くから修験道の行場として知られ、延宝6(1678)年に宝山湛海(たんかい)上人が生駒山般若窟に登りました。以来、天和2(1682)年に般若窟に弥勒菩薩を安置し、貞享3(1686)年に歓喜殿が造営されていき、現在に至ります。東山天皇をはじめ、権門勢家のほか、商都大坂に近いことから、大坂商人からの信仰を集めました。
大阪電気軌道が開通し、生駒駅が設置されますが、生駒駅から宝山寺まで約2kmの登坂が必要でした。そのため、参拝利便の向上が要請され鋼索鉄道の敷設が計画されます。
生駒鋼索鉄道が開業するのは大正7(1918)年のことで、日本ではじめての営業用鋼索鉄道にあたります。

大阪百景 郊外箕面公園/郊外宝塚/宝塚少女歌劇 

写真には現在多くのファンを集める宝塚歌劇団の前身の宝塚少女歌劇、宝塚駅近辺の宝塚温泉、箕面公園の箕面の滝が写っており、それぞれ現在も人気のある観光スポットです。
 阪急電鉄宝塚線と箕面線の前身は明治39(1906)年に設立された箕面有馬電気鉄道です。明治40年に箕面有馬電気軌道に改称され、専務取締役に小林一三が就任します。小林一三は沿線の開発を進めていきます。沿線に住宅地開発を行い、沿線住民を増やすとともに、宝塚少女歌劇などのレジャー施設を設置し、沿線の魅力を向上させていきました。現在につながる私鉄のビジネスモデルと評価されています。

京阪電気鉄道株式会社 

京阪電気鉄道の絵葉書です。京阪電気鉄道株式会社は、明治39(1906)年に設立され、明治43年4月に、大阪天満橋・京都五条間の46.57kmが開通しました。これは先に開通していた阪神、箕面有馬電軌(のちの阪急)よりもはるかに長い距離でした。この日は、花電車を走らせたり、花火を打ちあげるなど、祝賀ムードを盛りあげました。
また、関西の私鉄会社では、初の急行列車を走らせたのも京阪電車で、大正4(1915)年4月から本格的に導入しました。これは天満橋・五条の両終点間のみの運行で途中駅はすべて通過し、60分でつなぎました。現在の同社でいう特急に近いものだったようです。

パノラマ館 南海電車より望む 南海難波駅付近 

南海電気鉄道の歴史は明治17(1884)年、大阪財界の重鎮、藤田伝三郎、松本重太郎らが発起人となって大阪堺間鉄道を設立し、鉄道建設の許可を得たことから始まります。同年、阪堺鉄道と改称し、明治18年に難波・大和川間を開業し、明治21年に堺まで延長します。純民間による最初の鉄道であり、大阪で最初の私鉄でした。
この路線を堺から和歌山まで南下させようとして明治22年に設立されたのが紀泉鉄道です。同社は紀摂鉄道、南陽鉄道と社名変更を経て南海鉄道となります。南海鉄道は、明治31年に阪堺鉄道の事業を引き継ぎ、合併します。明治36年、難波・和歌山間が全線開通し、その間を2時間27分で結びました。
タイトルにある「パノラマ館」とは、明治24年に難波停車場に開業したパノラマ館のことです。パノラマ館とは、円形あるいは多角形の建物の内壁全体に360度張りまわされた絵画を、中央の展覧台から眺める娯楽施設でした。

(東大阪郊外名勝)四条畷神社 

木津駅と京橋駅の間を結ぶJR片町線(愛称:学研都市線)は、明治26(1893)年に設立された浪速鉄道を起源としています。同社は片町駅(現在廃止)と四條畷駅間の線路敷設工事を明治27年10月より開始しました。明治28年8月に開業し、片町・四條畷間を39分で結びました。 
当時の終着駅の四條畷駅は、南北朝時代に活躍し、四條畷の戦いで室町幕府軍に敗北し、自害した楠木正行を祀る四條畷神社の門前町に位置していました。四條畷神社は浪速鉄道開業の5年前の明治23年に創建されていました。天皇制の下、富国強兵を進める背景をもとに、忠臣楠木正行を祀る同社は多くの参詣客で賑わいを見せており、浪速鉄道は四條畷神社への参詣路線としての性格を持っていました。

(東大阪郊外名勝)野崎観音慈眼寺 

大阪府大東市野崎二丁目に位置する野崎観音(福聚山慈眼寺)に参詣することを「野崎参り」といいます。大阪近郊に位置し、舟による参詣も可能であったことから近世以来盛んに行われ、上方落語「野崎参り」なども知られています。
野崎観音の西側に浪速鉄道が明治28(1895)年に開通しますが、当初は野崎駅は常設されず、5月の野崎参りの期間だけの臨時駅が開設されました。浪速鉄道の後身の関西鉄道によって、野崎駅が常設されるのは明治45年4月のことでした。駅の設置により、それまでの徳庵堤や舟を利用する参拝者の姿を消し、鉄道による参拝が中心になっていきます。